国破れて山河あり

最近、つつじの花が好きだなと思っている自分に気づきました。

 

これまで、ありふれた、何の変哲もない花のように思っていて、

そのべったりとした色彩と、どこにでもある姿が、

どちらかというと、あまり好きになれないなと思っていました。

 

しかしある日、バスの窓から見えた八坂神社の大きな植え込みに

ピンク、紅色、白の花がまだらに咲いているさまを見て、はっとさせられることがありました。

また別のある雨の日、濡れた白いつつじが美しく、綻んでいるのを見て、

ぐぐぐっと心を動かされました。

それ以来なんとなく気にして見ています。

 

 

線路の脇に咲いている雑草。どんなところにも隙あらば生える、草木、

生えられそうな場所にはすかさず生える。

植え込みのつつじも、誰かの家の軒先も、線路のわきの雑草も、

「すべて、そこを選んで生えてきた」と考えると、

ほんとうは、「ありふれたもの」などないのかもしれない。

そう考えるようになりました。

 

飛行機の上から日本を見た時にもなんだか似ているなと感じました。

 

せまいところでも隙あらば住む、人類。

住めそうなところにはすかさず住む。

もしや、線路の脇の雑草と同じなのではないか・・・。

 

誰も彼も、すべて、そこを選んで生まれてきたのだ、と思うと、

尊い気持ちになります。

 

 

必要なことで埋め尽くされた日々の隙間に、

そういった余白を見つけながら過ごしています・・・。

 

T・T

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