はじめまして。
5月末より、春乃流に入門いたしました、
辻村と申します。
京都市立芸術大学にて、彫刻を専攻しております。
古今東西、人間に関わるありとあらゆることに興味があります。
芸大のミュージカルグループで、脚本・演出をやったりしています。
日本古来の様式美や、自分の身体とのつきあいかたについて考えたいと思い、門扉を叩かせていただきました。
彫刻の制作や、ミュージカルの稽古、バイトなんかでも思うのですが、
演じるということは、「求められる自分」を正しく受け入れる、ということかな、と思います。
自分でなければいけないのだけど、自分であってはならない。
求められることを、淡々と、自分自身の人格とは切り離して考える。
これは例えば、イラストの仕事をさせて頂くときなんかでも同じで、
うまくいかないときでも、「求められること」を自分と切り離して考えることで、心が摩耗するのを防げます。
これはある種のストイックさでもあります。
(逆に、求められることにおぼれて自分を見失ったりとか、
相手に求めすぎること(執着)とか、怖いなぁとも思います)
自分というのはいくら排除しても勝手に出てくるところなので、
わざわざ「自分らしく」しようとしなくてもいいのかもしれない、とか。
形式に執着せず、淡々とその中に身を委ねていくこと、
いちど完全に自分を排除してみること。
うつくしさを追求してみること。
ひとつずつ、学ばせて頂ければと思います。
あと基本的に落ち着きがないので笑
均整の取れた淑女になっていきたいです・・・
不束者ですがよろしくお願い致します。
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